ナミマチブログ

Betokeが目指すもの

Kanenari Sakamoto

自然と共に、自分の目と手で確かめて生きて行く 派手じゃなくていい。 流行はちょっと気になるけど、流されるのは違う。 あったかさがあるもの、ちゃんと手がかけられ芯の通ったもの、そういうのが好き。 自然や波のリズム、もちろん社会とも波長を合わせ、家族や仲間といい時間を過ごし向き合い、新しいことも取り入れつつ、昔からそこにあるものや技術を絶やさず、大事にしていきたい。 BeStokeは、そんな自分の暮らしや生き方の延長線上にあるもの。 気取らず、でもブレずに。 これからも、自然と、波と、仲間と、一緒に

Betokeが目指すもの

Kanenari Sakamoto

自然と共に、自分の目と手で確かめて生きて行く 派手じゃなくていい。 流行はちょっと気になるけど、流されるのは違う。 あったかさがあるもの、ちゃんと手がかけられ芯の通ったもの、そういうのが好き。 自然や波のリズム、もちろん社会とも波長を合わせ、家族や仲間といい時間を過ごし向き合い、新しいことも取り入れつつ、昔からそこにあるものや技術を絶やさず、大事にしていきたい。 BeStokeは、そんな自分の暮らしや生き方の延長線上にあるもの。 気取らず、でもブレずに。 これからも、自然と、波と、仲間と、一緒に

BeStoke ディレクター 坂本兼成について

Kanenari Sakamoto

坂本兼成という人間 Nari Sakamoto / Founder of BeStoke 福島県の山あい、田んぼに囲まれた農村に生まれました。 海までは高速で3時間弱。身近にサーフィンがあるような環境ではなかったけれど、自然の中に身を置く時間は当たり前のようにありました。スキー、スノーボード、スケートボード、釣り、そしてカブトムシ採り。遊びはいつも自然の中にありました。 高校卒業後、地元の自動車関連会社に就職し、28歳まで地元で暮らしていた頃、「このままの自分で終わりたくない」という思いが芽生え、単身オーストラリアへワーキングホリデーに旅立ちます。ファームジョブ、ナイトクラブ、ホテルなど様々な現場で働き、人生で初めて「自分がいた世界の小ささ」を痛感しました。   そこで色々な人種の中で揉まれ、サーフィンにも出会いました。   自然と、そして自分自身と向き合う、サーフィンという文化に魅了されましたが、オーストラリア時代は思うようには波に乗ることはできず、とにかく波のパワーに圧倒され、サーフィンから自分の小ささ、自然の雄大さに気付かされました。 帰国後、また地元で生活を再開するも、2011年の東日本大震災で人生観が大きく揺れます。 「明日が当たり前に来ると思ってはいけない」と、心のどこかに火が灯りました。 2012年、年齢的にも最後のチャンスだったワーキングホリデーでニュージーランドへ。 最初の3ヶ月間はバックパッカーズ(安宿)で出会った友人と(彼のシングルフィンサーフスタイルが後の自分に大きく影響してくる)サーフトリップ。その旅の中で出会った、ニュージーランドローカル達の人柄、価値観、フラットな人間関係に感動しました。国籍も年齢も関係ない。誰でも“人として”向き合ってくれる、そんな優しさに包まれながら、再びサーフィンに夢中になっていきました。 旅を終え、日本に帰国する友人と別れて、オークランドで職探し。現地の自動車関連企業で働き始めながら、週末は海へ。この辺りから更にサーフィンの魅力に更に取り憑かれ始める。 やがて、もっと良い波を求めて、ニュージーランド北島屈指のサーフスポット「タラナキ」へ移住。 仕事が終わり、波があれば海へ。 「サーフィンと家族、仲間、そして仕事」そんなシンプルな毎日が始まりました。   モノづくりと、自分の中の価値観 仕事柄、車の修理やカスタムの仕事をしていた頃、ふと気づいたことがありました。 古い車には、合理的では無いが美しい設計、そして妥協がない生産者の手仕事が見える瞬間が多々ある。 何度も修理でき、長く使えるし、そもそもの作りが強く唯一無二のスタイル。 一方で、新しい車は、デザイン重視でカッコいいが、パーツその物の強度が弱くの再利用の概念が伝わってこないなど、今の時代の大量生産大量消費の“使い捨て”に近い効率重視スタイル。 それはサーフカルチャー、スタイルにも通じていると感じました。 勿論大手のサーフボードメーカーのデザインは研究され使いやすく、大型工場で大量に生産されるため、コストも抑えられ、価格が安くお求めやすいです。...

BeStoke ディレクター 坂本兼成について

Kanenari Sakamoto

坂本兼成という人間 Nari Sakamoto / Founder of BeStoke 福島県の山あい、田んぼに囲まれた農村に生まれました。 海までは高速で3時間弱。身近にサーフィンがあるような環境ではなかったけれど、自然の中に身を置く時間は当たり前のようにありました。スキー、スノーボード、スケートボード、釣り、そしてカブトムシ採り。遊びはいつも自然の中にありました。 高校卒業後、地元の自動車関連会社に就職し、28歳まで地元で暮らしていた頃、「このままの自分で終わりたくない」という思いが芽生え、単身オーストラリアへワーキングホリデーに旅立ちます。ファームジョブ、ナイトクラブ、ホテルなど様々な現場で働き、人生で初めて「自分がいた世界の小ささ」を痛感しました。   そこで色々な人種の中で揉まれ、サーフィンにも出会いました。   自然と、そして自分自身と向き合う、サーフィンという文化に魅了されましたが、オーストラリア時代は思うようには波に乗ることはできず、とにかく波のパワーに圧倒され、サーフィンから自分の小ささ、自然の雄大さに気付かされました。 帰国後、また地元で生活を再開するも、2011年の東日本大震災で人生観が大きく揺れます。 「明日が当たり前に来ると思ってはいけない」と、心のどこかに火が灯りました。 2012年、年齢的にも最後のチャンスだったワーキングホリデーでニュージーランドへ。 最初の3ヶ月間はバックパッカーズ(安宿)で出会った友人と(彼のシングルフィンサーフスタイルが後の自分に大きく影響してくる)サーフトリップ。その旅の中で出会った、ニュージーランドローカル達の人柄、価値観、フラットな人間関係に感動しました。国籍も年齢も関係ない。誰でも“人として”向き合ってくれる、そんな優しさに包まれながら、再びサーフィンに夢中になっていきました。 旅を終え、日本に帰国する友人と別れて、オークランドで職探し。現地の自動車関連企業で働き始めながら、週末は海へ。この辺りから更にサーフィンの魅力に更に取り憑かれ始める。 やがて、もっと良い波を求めて、ニュージーランド北島屈指のサーフスポット「タラナキ」へ移住。 仕事が終わり、波があれば海へ。 「サーフィンと家族、仲間、そして仕事」そんなシンプルな毎日が始まりました。   モノづくりと、自分の中の価値観 仕事柄、車の修理やカスタムの仕事をしていた頃、ふと気づいたことがありました。 古い車には、合理的では無いが美しい設計、そして妥協がない生産者の手仕事が見える瞬間が多々ある。 何度も修理でき、長く使えるし、そもそもの作りが強く唯一無二のスタイル。 一方で、新しい車は、デザイン重視でカッコいいが、パーツその物の強度が弱くの再利用の概念が伝わってこないなど、今の時代の大量生産大量消費の“使い捨て”に近い効率重視スタイル。 それはサーフカルチャー、スタイルにも通じていると感じました。 勿論大手のサーフボードメーカーのデザインは研究され使いやすく、大型工場で大量に生産されるため、コストも抑えられ、価格が安くお求めやすいです。...