ナミマチブログ

信じる事って心地良い

信じる事って心地良い

Kanenari Sakamoto

ここ最近、改めて思うことがあります。 「信じる」って、勇気がいるけど、悪くないなと。 人を信じる。 モノを信じる。 自分の感覚を信じて、動いてみる。 日本の片田舎で生まれ育ち昭和後期から平成を28歳迄ずっと暮らしていた僕は、 「疑う」ことが当たり前でした。 悪い意味じゃなくて、それが生きやすさだったし、身を守る方法でもあったと思います。 でも、今ニュージーランドに来て、 まったく違う空気の中で暮らすようになって、 そういう価値観にゆっくり変化が出てきました。 『Bennyとの出会い』 ある日、街のチューブポイントででいい波が入っていて、久しぶりに少し緊張しながら入水しました。 ところが、わずか15分後。 ショアブレイクに巻かれて、フィンボックスがが壊れてしまいました。 トボトボと車へ戻ると、ちょうど僕の車の隣でウェットスーツに着替えている男性が、 「波どうだった?」と声をかけてくれました。 僕は、「めちゃくちゃ良かったけど、一発目で板壊れちゃったよ」って壊れた板を見せて軽く笑いながら答えると、彼は車のテールゲートを開け、 何本か入っていたサーフボードを指差してこう言ったんです。 「俺が使うのは1本。他のはどれでも持っていっていいよ」 ……脳みそにカミナリが落ちた感覚になり、正直、びっくりしました。 僕は彼の名前も知らない。彼も僕がどこの誰かなんて知らないし、彼からしたら、僕は移民のアジア人。 でも、彼は何も聞かず、何も求めず、 ただ「Lets score some wave!!(良い波乗ろうよ!!)」と言ってくれる優しさ。 彼の名前は、Benny。 勿論、今でも彼とはいい付き合いしています。 あの日、ベニーに貸してもらったのは、...

信じる事って心地良い

Kanenari Sakamoto

ここ最近、改めて思うことがあります。 「信じる」って、勇気がいるけど、悪くないなと。 人を信じる。 モノを信じる。 自分の感覚を信じて、動いてみる。 日本の片田舎で生まれ育ち昭和後期から平成を28歳迄ずっと暮らしていた僕は、 「疑う」ことが当たり前でした。 悪い意味じゃなくて、それが生きやすさだったし、身を守る方法でもあったと思います。 でも、今ニュージーランドに来て、 まったく違う空気の中で暮らすようになって、 そういう価値観にゆっくり変化が出てきました。 『Bennyとの出会い』 ある日、街のチューブポイントででいい波が入っていて、久しぶりに少し緊張しながら入水しました。 ところが、わずか15分後。 ショアブレイクに巻かれて、フィンボックスがが壊れてしまいました。 トボトボと車へ戻ると、ちょうど僕の車の隣でウェットスーツに着替えている男性が、 「波どうだった?」と声をかけてくれました。 僕は、「めちゃくちゃ良かったけど、一発目で板壊れちゃったよ」って壊れた板を見せて軽く笑いながら答えると、彼は車のテールゲートを開け、 何本か入っていたサーフボードを指差してこう言ったんです。 「俺が使うのは1本。他のはどれでも持っていっていいよ」 ……脳みそにカミナリが落ちた感覚になり、正直、びっくりしました。 僕は彼の名前も知らない。彼も僕がどこの誰かなんて知らないし、彼からしたら、僕は移民のアジア人。 でも、彼は何も聞かず、何も求めず、 ただ「Lets score some wave!!(良い波乗ろうよ!!)」と言ってくれる優しさ。 彼の名前は、Benny。 勿論、今でも彼とはいい付き合いしています。 あの日、ベニーに貸してもらったのは、...

ココロの故郷

ココロの故郷

Kanenari Sakamoto

8月中旬、日本ではお盆の時期。 都会でも田舎でも、この時期になると「ご先祖様が帰ってくる」と言われます。 宗教的な形式は人によって違っても、日本人の多くはこの“魂が帰ってくる”感覚を、なんとなく自然に受け入れてきました。 僕が思うに、日本人の宗教観は、教義や経典を信じるというよりも、 「自然や祖先とのつながりを心の中で感じる」という、柔らかいもの。 海や山、風や月、宇宙の星まで…そういうものの中に、ご先祖や見えない存在を感じる文化です。 ニュージーランドでマオリの人たちと関わっていると、その感覚がとても近いことに驚きます。 マオリの自然信仰では、海や山、川、森はすべて生きていて、 それぞれにwairua(ワイルア)=魂があると考えます。 大きな波や風の中に先祖の声を聴くこともあるし、星空や夕陽の色で季節や心の状態を知ることもあるそうです。 僕は海に入ると、たまに、少し特別な静けさを感じる時があります。 海は全て繋がっているので、それは日本の海でもニュージーランドの海でも同じで、 人間が昔からずっと信じてきた「見えないつながり」の感覚なのかもしれません。 サーフィンは波と風を読むスポーツだけど、 もっと深いところでは、自然や魂のリズムを感じる時間でもあると思います。 お盆に限らず、海に入るたびに僕はちょっとだけ“心の中の宗教”を思い出し瞑想の様な状態になります。     海は、魂の故郷かもしれない。

ココロの故郷

Kanenari Sakamoto

8月中旬、日本ではお盆の時期。 都会でも田舎でも、この時期になると「ご先祖様が帰ってくる」と言われます。 宗教的な形式は人によって違っても、日本人の多くはこの“魂が帰ってくる”感覚を、なんとなく自然に受け入れてきました。 僕が思うに、日本人の宗教観は、教義や経典を信じるというよりも、 「自然や祖先とのつながりを心の中で感じる」という、柔らかいもの。 海や山、風や月、宇宙の星まで…そういうものの中に、ご先祖や見えない存在を感じる文化です。 ニュージーランドでマオリの人たちと関わっていると、その感覚がとても近いことに驚きます。 マオリの自然信仰では、海や山、川、森はすべて生きていて、 それぞれにwairua(ワイルア)=魂があると考えます。 大きな波や風の中に先祖の声を聴くこともあるし、星空や夕陽の色で季節や心の状態を知ることもあるそうです。 僕は海に入ると、たまに、少し特別な静けさを感じる時があります。 海は全て繋がっているので、それは日本の海でもニュージーランドの海でも同じで、 人間が昔からずっと信じてきた「見えないつながり」の感覚なのかもしれません。 サーフィンは波と風を読むスポーツだけど、 もっと深いところでは、自然や魂のリズムを感じる時間でもあると思います。 お盆に限らず、海に入るたびに僕はちょっとだけ“心の中の宗教”を思い出し瞑想の様な状態になります。     海は、魂の故郷かもしれない。

海の上の先生たち  ニュージーランドで出会った人生の達人

海の上の先生たち ニュージーランドで出会った人生の達人

Kanenari Sakamoto

ニュージーランドでサーフィンしていると、よく思うんです。 「この国の人たち、なんでこんなに自然体なんだろう」って。 誰とでもフラットに話すし、 移民とかローカルとか、バックグラウンドが違っても、海の上ではただの“サーファー”。 特に印象的だったのは、初めてローカルのポイントに入っ手セットが来た時 「お前の波来たぞ。Go!!」 って笑顔言ってくれた。 普通なら「邪魔だな」と思われてもおかしくないのに。 しかもその波に乗って戻ってきた僕に「いい波だったか?」って笑顔で聞いてくる。笑 僕がどこの誰で、“上手いかどうか”なんて、彼らにとってはあんまり関係ないんだろうな。 人として、ちゃんと向き合う姿勢。心地よい距離感。 競争じゃなくて共有。 ああ、こういう感覚が、この国には根付いてるんだなって思った。 サーフボードやスタイルもそう。 流行りのハイパフォーマンス系ばかりじゃなくて、 古いログを大事に乗ってたり、自分で削った板にステッカー貼ってたり。 スペックより、“どんな気分で乗りたいか”が大事にされてる。 そんなサーファーたちと波をシェアしていると、 自然とこっちまで力が抜けて、素の自分でいられる。 「うまくやらなきゃ」とか「人にどう見られるか」とか、 海の上ではほんと、どうでもよくなってくる。 だから僕は、サーフィンを通して人生を学んでるんだと思う。 ニュージーランドの海と、そこに浮かぶサーファーたちから。 BeStokeでは、 そんな“あなたらしいサーフィン”を支えたいと思ってます。 海の上で自分らしく、自然体で、笑っていられるような、あなたに寄り添えれば光栄です。  

海の上の先生たち ニュージーランドで出会った人生の達人

Kanenari Sakamoto

ニュージーランドでサーフィンしていると、よく思うんです。 「この国の人たち、なんでこんなに自然体なんだろう」って。 誰とでもフラットに話すし、 移民とかローカルとか、バックグラウンドが違っても、海の上ではただの“サーファー”。 特に印象的だったのは、初めてローカルのポイントに入っ手セットが来た時 「お前の波来たぞ。Go!!」 って笑顔言ってくれた。 普通なら「邪魔だな」と思われてもおかしくないのに。 しかもその波に乗って戻ってきた僕に「いい波だったか?」って笑顔で聞いてくる。笑 僕がどこの誰で、“上手いかどうか”なんて、彼らにとってはあんまり関係ないんだろうな。 人として、ちゃんと向き合う姿勢。心地よい距離感。 競争じゃなくて共有。 ああ、こういう感覚が、この国には根付いてるんだなって思った。 サーフボードやスタイルもそう。 流行りのハイパフォーマンス系ばかりじゃなくて、 古いログを大事に乗ってたり、自分で削った板にステッカー貼ってたり。 スペックより、“どんな気分で乗りたいか”が大事にされてる。 そんなサーファーたちと波をシェアしていると、 自然とこっちまで力が抜けて、素の自分でいられる。 「うまくやらなきゃ」とか「人にどう見られるか」とか、 海の上ではほんと、どうでもよくなってくる。 だから僕は、サーフィンを通して人生を学んでるんだと思う。 ニュージーランドの海と、そこに浮かぶサーファーたちから。 BeStokeでは、 そんな“あなたらしいサーフィン”を支えたいと思ってます。 海の上で自分らしく、自然体で、笑っていられるような、あなたに寄り添えれば光栄です。  

便利すぎる日本」と「ちょっと不便なNZ」で見つけた、心の余白

便利すぎる日本」と「ちょっと不便なNZ」で見つけた、心の余白

Kanenari Sakamoto

僕は、波待ちしている時間が、実はすごく好きだ。 何かをするでもなく、ただ海に浮かんで、空を見上げたり、海の匂いを感じたり。 それだけの時間が、なんとも言えず心地いい。 日本にいたときは、こういう時間を“無駄”だと思ってた気がする。 次の予定に遅れないように、スマホの通知をチェックして、SNSやテレビのトレンドを追って、何をする訳でもないに、何かしてないといけない気がしてた。   でもニュージーランドに来て思う。 たとえばお店はは夕方には閉まるし、日曜は店はお休み。 役所も「のんびり」で、道を歩いてる人たちもなんだか穏やか。 最初は「不便だなあ」って思ったけど、今はむしろその“ゆるさ”が心地いい。 「波がないから、今日はサーフィンやめて昼寝かゴルフでもしよう」 そんな選択ができる日常って、すごく贅沢だ。   便利なものがあふれている日本は、たしかに快適。 でもその分、「ちゃんとしなきゃ」「急がなきゃ」「すぐに返さなきゃ」っていう 目に見えないプレッシャーに、ずっと追いかけられていた気がする。 こっちでは、少し不便でも「まあいいか」が日常にある。 完璧じゃなくていい。遅れてもいい。失敗しても、笑って済ませられる。 みんな、“そもそも人間てそういう生き物“って感覚で生きている気がする。 そんな空気の中で暮らしていると、自分の呼吸までゆっくりになる。   豊かさってなんだろう? モノがあることじゃなくて、 “何もしない時間”を楽しめる余裕のことかもしれない。 サーフィンも、ものづくりも、きっと同じ。 波に合わせるように、自然体で生きる。 BeStokeは、そういう思いを少しでも形にして届けたいです。  

便利すぎる日本」と「ちょっと不便なNZ」で見つけた、心の余白

Kanenari Sakamoto

僕は、波待ちしている時間が、実はすごく好きだ。 何かをするでもなく、ただ海に浮かんで、空を見上げたり、海の匂いを感じたり。 それだけの時間が、なんとも言えず心地いい。 日本にいたときは、こういう時間を“無駄”だと思ってた気がする。 次の予定に遅れないように、スマホの通知をチェックして、SNSやテレビのトレンドを追って、何をする訳でもないに、何かしてないといけない気がしてた。   でもニュージーランドに来て思う。 たとえばお店はは夕方には閉まるし、日曜は店はお休み。 役所も「のんびり」で、道を歩いてる人たちもなんだか穏やか。 最初は「不便だなあ」って思ったけど、今はむしろその“ゆるさ”が心地いい。 「波がないから、今日はサーフィンやめて昼寝かゴルフでもしよう」 そんな選択ができる日常って、すごく贅沢だ。   便利なものがあふれている日本は、たしかに快適。 でもその分、「ちゃんとしなきゃ」「急がなきゃ」「すぐに返さなきゃ」っていう 目に見えないプレッシャーに、ずっと追いかけられていた気がする。 こっちでは、少し不便でも「まあいいか」が日常にある。 完璧じゃなくていい。遅れてもいい。失敗しても、笑って済ませられる。 みんな、“そもそも人間てそういう生き物“って感覚で生きている気がする。 そんな空気の中で暮らしていると、自分の呼吸までゆっくりになる。   豊かさってなんだろう? モノがあることじゃなくて、 “何もしない時間”を楽しめる余裕のことかもしれない。 サーフィンも、ものづくりも、きっと同じ。 波に合わせるように、自然体で生きる。 BeStokeは、そういう思いを少しでも形にして届けたいです。  

海の上の人間性

海の上の人間性

Kanenari Sakamoto

  ニュージーランドの海に浮かんでいると、たまに不思議な気持ちになる。 波を待ってるとき、みんな自然の前では平等だ。 お金持ちでも、地元の少年でも、バックパッカーでも、波が来るのをただ静かに待ってる。 押しのけることもできないし、ルールを無視したらすぐバレる。 自然と、謙虚さと、礼儀が育つ。サーフィンってそういうスポーツだと思う。 それって、今の社会に足りなくなってきた感覚かもしれない。 スマホの中の世界では、流行り廃りが目まぐるしく、早い者勝ち、目立った者勝ち。 でも海の上では、違う。 “今の一本を誰に譲るか”っていう判断で、その人の本質が見えたりする。 サーフボードって、単なる道具じゃなくて、自分の価値観を乗せているようなもの。 クラシックにこだわる人、最先端を攻める人、DIYで削る人、いろいろいる。 その“選び方”の中に、自分が何を大事にしているのかが表れる。 だから僕たちは、ただ“売れるボード”じゃなく、“その人の価値観に合った一本”を紹介したい。   サーフィンは、結局人間を映す鏡なのかもしれない。

海の上の人間性

Kanenari Sakamoto

  ニュージーランドの海に浮かんでいると、たまに不思議な気持ちになる。 波を待ってるとき、みんな自然の前では平等だ。 お金持ちでも、地元の少年でも、バックパッカーでも、波が来るのをただ静かに待ってる。 押しのけることもできないし、ルールを無視したらすぐバレる。 自然と、謙虚さと、礼儀が育つ。サーフィンってそういうスポーツだと思う。 それって、今の社会に足りなくなってきた感覚かもしれない。 スマホの中の世界では、流行り廃りが目まぐるしく、早い者勝ち、目立った者勝ち。 でも海の上では、違う。 “今の一本を誰に譲るか”っていう判断で、その人の本質が見えたりする。 サーフボードって、単なる道具じゃなくて、自分の価値観を乗せているようなもの。 クラシックにこだわる人、最先端を攻める人、DIYで削る人、いろいろいる。 その“選び方”の中に、自分が何を大事にしているのかが表れる。 だから僕たちは、ただ“売れるボード”じゃなく、“その人の価値観に合った一本”を紹介したい。   サーフィンは、結局人間を映す鏡なのかもしれない。

Betokeが目指すもの

Kanenari Sakamoto

自然と共に、自分の目と手で確かめて生きて行く 派手じゃなくていい。 流行はちょっと気になるけど、流されるのは違う。 あったかさがあるもの、ちゃんと手がかけられ芯の通ったもの、そういうのが好き。 自然や波のリズム、もちろん社会とも波長を合わせ、家族や仲間といい時間を過ごし向き合い、新しいことも取り入れつつ、昔からそこにあるものや技術を絶やさず、大事にしていきたい。 BeStokeは、そんな自分の暮らしや生き方の延長線上にあるもの。 気取らず、でもブレずに。 これからも、自然と、波と、仲間と、一緒に

Betokeが目指すもの

Kanenari Sakamoto

自然と共に、自分の目と手で確かめて生きて行く 派手じゃなくていい。 流行はちょっと気になるけど、流されるのは違う。 あったかさがあるもの、ちゃんと手がかけられ芯の通ったもの、そういうのが好き。 自然や波のリズム、もちろん社会とも波長を合わせ、家族や仲間といい時間を過ごし向き合い、新しいことも取り入れつつ、昔からそこにあるものや技術を絶やさず、大事にしていきたい。 BeStokeは、そんな自分の暮らしや生き方の延長線上にあるもの。 気取らず、でもブレずに。 これからも、自然と、波と、仲間と、一緒に