人口増加、渋滞、そしてタラナキへ続く道
僕がニュージーランドに住み始めたのは2012年、当時の人口は約430万人。
2025年の今人口は530万人。
移民政策で人口爆発状態。
そのうち3分の1の人がオークランドに住んでいるという、大都市集中国家。
2012年、当時の首相ジョン・キーはビジネスマンタイプの政治家で、
「移民をとにかく入れて経済を回す」という政策を推し進めていた。
そのおかげで僕も、ワーホリからワークビザ、永住権まで、約3年ほどでスムーズに取得できた。
移民の僕としては本当にありがたい話だ。
最初のサーフとリップで惹かれた“タラナキの波”
ニュージーランドに来てすぐ3ヶ月間のサーフトリップで、
いろいろな街でサーフィンをした。その中でも強烈に印象に残っているのが タラナキ。
初めて訪れた時に見た、長い海岸線が続くタラナキの波の力強さ美しさ、そしてポイントの多さ。
海と、富士山に似たタラナキ山がひとつの絵のように存在しているあの景色。
大型連休のたびにタラナキへ通うほど、その波に惹かれていた。
「ああ、いつかここに住めたらいいな。」
その想いが、オークランドの生活が始まったばかりの頃からずっと残っていた。
一方、オークランドの人口増加とインフラ不足は深刻だった
移民が増え続ける中で、オークランドはどんどんキャパオーバーしていった。
家は足りない。家賃は高騰。
不動産屋はどこも“イケイケ”。
そして何より インフラがまったく追いついていない。
僕が働いていた会社まではハイウェイを使って約18km。
普通なら20分の距離なのに、朝はもちろん、午後3時からすでに学校のお迎えと帰宅が重なり渋滞が始まる。
帰宅だけで1時間。抜け道も全部詰まる。
往復で毎日1時間半の通勤。
車の中で日焼けしていくレベルで、心も体も完全に疲れていた。
職場には何の不満もなかったけれど、
渋滞だけはもう耐えられなかった。
近所のスーパーで起きた“人生の転機”
そんな日々が続く中、ある日近所のアジア系スーパーマーケットで買い物をしていた時のこと。
店に入ろうとした瞬間、後ろから声がした。
「Nari!」
振り返ると、僕がニュージーランドで最初に働いていた会社のオフィススタッフ、
イラン出身のハッシーだった。(ちなみにハッシーはあだ名で名前はフセイン。イランでフセインって….)
話を聞けば、ハッシーはそのスーパーの隣の鈑金塗装屋のオフィスで働いていて、久々の再会で話が盛り上がった。会話の流れで
「ちょうど人探してるから、お前ここに来いよ!」
冗談だと思いながらも、買い物後にオーナーと話すことに。
通勤の渋滞に疲れていると伝えると、オーナーは一言。
「この距離なら歩いて来れるぞ。
それだけで人生だいぶ楽になるだろ?」
その言葉で一気に現実味が増し何でもやってみよう精神の僕は
近所への転職を決断した。
新しい職場は“水性塗料の会社”
翌月から新しい職場での生活がスタートした。
この会社は当時業界の中ではまだ新し水性塗料を使う工場で
まだ触れた事の無い僕にとっては全くの新世界。
入社して1週間後、メーカー主催の2日間の講習に送られることに。
講習では技術のことだけでなく、講師たちと雑談をしたりそのまま近所のカフェに行ってまた喋ったり(半分以上が雑談)
「普段は何して遊んでるの?」と聞かれ
「サーフィンです。特にタラナキの波が大好きで、
大型連休のたびに通ってるよ。」
すると講師がこう言った。
「実はこの塗料の販売店、タラナキにも支店があるんだ。
希望なら紹介してあげるよ。」
……え?
入社してまだ数日しか経っていない会社の講習先で、
まさか 次の転職先の話 が出るなんて、普通なら考えられない。
でも話はどんどん進んでいき、
数日後には、本当に タラナキの2つの板金塗装会社から電話がかかってきた。
その瞬間、胸の奥で長い間しまっていた想いが動き出した。
「これは最大の決断になるかもしれない」
渋滞や大都市に疲れ、海や僕が生まれ育った田舎(僕は福島の村出身)求めていた僕。
タラナキの波に惹かれ続けていた僕。
偶然の出会いが引き寄せたチャンス。
全てが線でつながった気がした。
「もしかしたら、
これは人生で一番大きな決断になるかもしれない。」
そう思った。
そして、ここから僕の人生は大きくタラナキへ向かって動き出す。
