ナミマチブログ
BeStoke Directer Nariのニュージーランド・リアルライフ第3弾
— 会社が突然潰れた日、僕を救ったニュージーランド人の“優しさの連鎖” — ある日の朝、いつも通り会社に出勤すると、 9時の時点で会社そのものがシャットダウンすると聞かされました。 そう、会社が突然潰れたのです。 ワークビザ(就労ビザ)はある。 でも、法律上 同じ職種の会社に移動しないとビザは継続できない。 つまり、“とにかくすぐに働ける鈑金塗装の会社”を見つける必要がありました。 正直、不安しかなかった。 どう動けばいいかもわからない。 でも、ここで感じたのが、ニュージーランド人の本当の温かさでした。 電話番号が勝手に“まわる”国 一緒に働いていた元同僚たち、 出入りしていた塗料販売店のスタッフ、 取引先の人たち…… いろんなところで僕の状況が伝わり、 誰かが誰かに僕の電話番号を渡してくれていた。 その日だけで、知らない番号から突然3件の電話。 「Nari、よかったらウチに面接に来ないか?」 自分で動く前に、もう僕を探してくれていた。 とりあえずその足で面接へ 会社がクローズした9時、僕と同僚のケリーはそのまま電話をくれた塗装屋の一つに行ってみた。 すごくありがたい話だったけど、僕はどうしてもピンと来なかった。 職場の雰囲気、人の感じ、空気感。 直感的に「ここじゃないかな」と思い、そこの会社はやめることにした。 ケリーはそこで働く事になった。 そして、“ここだ”という場所に出会う その後、仲良くしていたマネージャーのマイクが、...
BeStoke Directer Nariのニュージーランド・リアルライフ第3弾
— 会社が突然潰れた日、僕を救ったニュージーランド人の“優しさの連鎖” — ある日の朝、いつも通り会社に出勤すると、 9時の時点で会社そのものがシャットダウンすると聞かされました。 そう、会社が突然潰れたのです。 ワークビザ(就労ビザ)はある。 でも、法律上 同じ職種の会社に移動しないとビザは継続できない。 つまり、“とにかくすぐに働ける鈑金塗装の会社”を見つける必要がありました。 正直、不安しかなかった。 どう動けばいいかもわからない。 でも、ここで感じたのが、ニュージーランド人の本当の温かさでした。 電話番号が勝手に“まわる”国 一緒に働いていた元同僚たち、 出入りしていた塗料販売店のスタッフ、 取引先の人たち…… いろんなところで僕の状況が伝わり、 誰かが誰かに僕の電話番号を渡してくれていた。 その日だけで、知らない番号から突然3件の電話。 「Nari、よかったらウチに面接に来ないか?」 自分で動く前に、もう僕を探してくれていた。 とりあえずその足で面接へ 会社がクローズした9時、僕と同僚のケリーはそのまま電話をくれた塗装屋の一つに行ってみた。 すごくありがたい話だったけど、僕はどうしてもピンと来なかった。 職場の雰囲気、人の感じ、空気感。 直感的に「ここじゃないかな」と思い、そこの会社はやめることにした。 ケリーはそこで働く事になった。 そして、“ここだ”という場所に出会う その後、仲良くしていたマネージャーのマイクが、...
BeStoke Directer Nariのニュージーランド・リアルライフ 第2弾
オークランドで最初に決まった仕事は、そのまま正社員として登録され、毎日忙しく働く日々が続きました。僕が勤めていたのは、これから大きく展開していこうとする若い会社。社長も若く、勢いがあって、オークランド中の鈑金塗装屋を次々と買収し、気づけば7社ほどを抱える巨大グループを作ろうとしていました。 でも、その頃から小さな問題が起こり始めます。 おそらく事業拡大のプレッシャーで、社長は常にイライラしていました。もともと借りていた工場が大きすぎて家賃が高く、道路を挟んだ向かいの場所に移転しようとしていた時期でもあり、そのストレスも積み重なっていたのでしょう。社内の雰囲気も徐々に悪くなっていきました。 一番仲の良かったペイントショップのマネージャー、マイクも、そんな社長の怒りっぽさに嫌気がさし、何度も大喧嘩しては仕事途中で帰ることもしばしば。 ニュージーランドでは雇用者がかなり守られていて、当時は年間5日間のシックリーブ(有給病欠)が与えられ、今では年間10日間に増えています。ケンカして気持ちが落ち込んで帰ったとしても、「心がしんどい」という理由で病欠扱いになり、給料も出るほど。とにかく社員に優しい国なんです。 そんなマイクもついに我慢の限界を迎え、会社を辞めることになりました。 退社するときに僕へ「次の会社にお前の事紹介してやるよ」と言い残して去っていき、2週間後、本当に彼から連絡が来ました。 「うちの会社に面接に来いよ。」 彼が移った先は“Coach Builders(コーチビルダーズ)”。大きなキャンピングカー、大型トラック、大型バスの製造からペイントまで全部行う会社です。町の中心から郊外へ移った場所で、僕にとっても渋滞が少なくて通いやすいエリア。何でも経験してみたいと思い一度話してみる事に。 面接へ行くと話はトントン拍子に進み、当時ワーキングホリデービザだった僕に「ワークビザサポートもできるよ」とその場で言ってもらえました。 ワークビザ(就労ビザ)を取れれば、もっと長くこの国に滞在でき、永住ビザに繋がる可能性大 こうして僕は新しい職場へ移る決断をし、ニュージーランドでの初転職が始まったのです。 『コーチビルダーズでの新しい経験と、人生を変える衝撃の事件』 コーチビルダーズは約30人が働く大きな会社で、トラック、ホーストラック(馬の運搬車)、キャンピングカーの製造から、内装のキッチン・ベッドの組み込み、そして事故車や特注車両の全塗装までを行う巨大な工場でした。 僕はその中の塗装部門で、ペイントを担当していました。 『救急車を“黄色”に塗り替えるビッグプロジェクト』 ある日、国から大きなプロジェクトが降りてきました。 ニュージーランドの救急車のカラーを白から黄色に変更するという計画で、新車の救急車を年間50台、1週間に1台のペースで塗っていくというもの。 各社に数台ずつ試験的に振り分けられ、仕上がりが一番良かった会社が年間契約を取れるシステム。 そこで前の会社から一緒に移ったマネージャー・マイクと僕が二人でそのプロジェクトを担当し、見事に受注を勝ち取りました。 普通車ばかり塗ってきた僕には、救急車のサイズ感や工程は大変でしたが、刺激があって毎日楽しかった。大きな仕事を仲間とやる達成感もあって、充実した毎日でした。 『そして、あの“火事”が起きた』 そんな忙しい日々のある日、突然の出来事が起きました。 僕が作業していると、マイクが血相を変えて走ってきて、 「Nari! FIRE! FIRE!!」 と叫ぶんです。...
BeStoke Directer Nariのニュージーランド・リアルライフ 第2弾
オークランドで最初に決まった仕事は、そのまま正社員として登録され、毎日忙しく働く日々が続きました。僕が勤めていたのは、これから大きく展開していこうとする若い会社。社長も若く、勢いがあって、オークランド中の鈑金塗装屋を次々と買収し、気づけば7社ほどを抱える巨大グループを作ろうとしていました。 でも、その頃から小さな問題が起こり始めます。 おそらく事業拡大のプレッシャーで、社長は常にイライラしていました。もともと借りていた工場が大きすぎて家賃が高く、道路を挟んだ向かいの場所に移転しようとしていた時期でもあり、そのストレスも積み重なっていたのでしょう。社内の雰囲気も徐々に悪くなっていきました。 一番仲の良かったペイントショップのマネージャー、マイクも、そんな社長の怒りっぽさに嫌気がさし、何度も大喧嘩しては仕事途中で帰ることもしばしば。 ニュージーランドでは雇用者がかなり守られていて、当時は年間5日間のシックリーブ(有給病欠)が与えられ、今では年間10日間に増えています。ケンカして気持ちが落ち込んで帰ったとしても、「心がしんどい」という理由で病欠扱いになり、給料も出るほど。とにかく社員に優しい国なんです。 そんなマイクもついに我慢の限界を迎え、会社を辞めることになりました。 退社するときに僕へ「次の会社にお前の事紹介してやるよ」と言い残して去っていき、2週間後、本当に彼から連絡が来ました。 「うちの会社に面接に来いよ。」 彼が移った先は“Coach Builders(コーチビルダーズ)”。大きなキャンピングカー、大型トラック、大型バスの製造からペイントまで全部行う会社です。町の中心から郊外へ移った場所で、僕にとっても渋滞が少なくて通いやすいエリア。何でも経験してみたいと思い一度話してみる事に。 面接へ行くと話はトントン拍子に進み、当時ワーキングホリデービザだった僕に「ワークビザサポートもできるよ」とその場で言ってもらえました。 ワークビザ(就労ビザ)を取れれば、もっと長くこの国に滞在でき、永住ビザに繋がる可能性大 こうして僕は新しい職場へ移る決断をし、ニュージーランドでの初転職が始まったのです。 『コーチビルダーズでの新しい経験と、人生を変える衝撃の事件』 コーチビルダーズは約30人が働く大きな会社で、トラック、ホーストラック(馬の運搬車)、キャンピングカーの製造から、内装のキッチン・ベッドの組み込み、そして事故車や特注車両の全塗装までを行う巨大な工場でした。 僕はその中の塗装部門で、ペイントを担当していました。 『救急車を“黄色”に塗り替えるビッグプロジェクト』 ある日、国から大きなプロジェクトが降りてきました。 ニュージーランドの救急車のカラーを白から黄色に変更するという計画で、新車の救急車を年間50台、1週間に1台のペースで塗っていくというもの。 各社に数台ずつ試験的に振り分けられ、仕上がりが一番良かった会社が年間契約を取れるシステム。 そこで前の会社から一緒に移ったマネージャー・マイクと僕が二人でそのプロジェクトを担当し、見事に受注を勝ち取りました。 普通車ばかり塗ってきた僕には、救急車のサイズ感や工程は大変でしたが、刺激があって毎日楽しかった。大きな仕事を仲間とやる達成感もあって、充実した毎日でした。 『そして、あの“火事”が起きた』 そんな忙しい日々のある日、突然の出来事が起きました。 僕が作業していると、マイクが血相を変えて走ってきて、 「Nari! FIRE! FIRE!!」 と叫ぶんです。...
海外で始まった僕の鈑金塗装人生 ― オークランド編 ―
オークランドで仕事が決まったのは、ある意味で突然でした。 金曜日の面接の後、次の週の月曜日からすぐに働くことになり、朝7時から午後4時までのシフト。休憩は10時半から11時、そして午後2時から2時半の二回。 職場は街の中心部にあり、車の通りも人の流れも多く、いつも渋滞している“都会のど真ん中”。そんな場所で、僕の海外での鈑金塗装人生がスタートした。 日本では10年以上、鈑金塗装の世界に身を置いてきた。だけど海外での仕事はこれが初めて。 とはいえ、色の呼び名も塗装の専門用語もほぼ英語。Blue、White、Red…。ベースは同じだから、いざやってみると意外とすんなり入っていけた気がする。 驚いたのは、すべてがデジタル化されていたこと。そしてヘルス&セーフティ(安全対策系)の徹底ぶり。 どれも日本とは違う部分で、新鮮さと刺激があった。 なにより、会社全体が“やる気に満ちている若いチーム”で、それだけで僕はけっこうハッピーだった。 そして、働き始めて一週間が経とうとしていた金曜日。 金曜日は “Friday Beers”。 仕事を少し早めに切り上げて、みんなでビールを飲みながらゆるく過ごすというニュージーランドらしい文化だ(少しの飲酒運転は大丈夫な国)。 そこで仲良くなったのが、サモア人の同僚。 身長2メートル、体重120キロ。毎日ジムに通う“超”パワー系。 でも笑顔がかわいい、めちゃくちゃいいやつだ。 その日、彼が 「お前面白いな。うち来いよ」 と誘ってくれた。 彼の車の後をついて行くと、家に着いた途端に “Are you ready?” と聞かれ、そのままガレージへ案内された。 そこは、いわゆる “男の遊び場(Man Cave)”。 ニュージーランドでは、ガレージを自分の趣味スペースにするのが当たり前。 そして次の瞬間、彼は大麻を吸おうと言い出した。(ニュージランドでは合法ではないが場所や用途を守れれば警察は何も言ってこない感覚です。)...
海外で始まった僕の鈑金塗装人生 ― オークランド編 ―
オークランドで仕事が決まったのは、ある意味で突然でした。 金曜日の面接の後、次の週の月曜日からすぐに働くことになり、朝7時から午後4時までのシフト。休憩は10時半から11時、そして午後2時から2時半の二回。 職場は街の中心部にあり、車の通りも人の流れも多く、いつも渋滞している“都会のど真ん中”。そんな場所で、僕の海外での鈑金塗装人生がスタートした。 日本では10年以上、鈑金塗装の世界に身を置いてきた。だけど海外での仕事はこれが初めて。 とはいえ、色の呼び名も塗装の専門用語もほぼ英語。Blue、White、Red…。ベースは同じだから、いざやってみると意外とすんなり入っていけた気がする。 驚いたのは、すべてがデジタル化されていたこと。そしてヘルス&セーフティ(安全対策系)の徹底ぶり。 どれも日本とは違う部分で、新鮮さと刺激があった。 なにより、会社全体が“やる気に満ちている若いチーム”で、それだけで僕はけっこうハッピーだった。 そして、働き始めて一週間が経とうとしていた金曜日。 金曜日は “Friday Beers”。 仕事を少し早めに切り上げて、みんなでビールを飲みながらゆるく過ごすというニュージーランドらしい文化だ(少しの飲酒運転は大丈夫な国)。 そこで仲良くなったのが、サモア人の同僚。 身長2メートル、体重120キロ。毎日ジムに通う“超”パワー系。 でも笑顔がかわいい、めちゃくちゃいいやつだ。 その日、彼が 「お前面白いな。うち来いよ」 と誘ってくれた。 彼の車の後をついて行くと、家に着いた途端に “Are you ready?” と聞かれ、そのままガレージへ案内された。 そこは、いわゆる “男の遊び場(Man Cave)”。 ニュージーランドでは、ガレージを自分の趣味スペースにするのが当たり前。 そして次の瞬間、彼は大麻を吸おうと言い出した。(ニュージランドでは合法ではないが場所や用途を守れれば警察は何も言ってこない感覚です。)...
僕のリアル・ニュージーランドライフ
夢から現実へ 〜ワーホリで始まったサーフトリップ〜 実はBeStokeはニュージーランドで登記してオペレーションしています。 僕は2012年ににワーキングホリデーでやってきて以来この国や人にに惹かれこれ住み着いています。 今までこのブログでは、自分の理想や、美しいこと、心地いい瞬間を中心に書いてきました。 でも今回は少し視点を変えて、僕自身の「リアル・ニュージーランドライフ」について、移住のきっかけから今に至るまで話していこうと思います。 僕が最初にニュージーランドにやってきたのは、2012年3月9日。 ワーキングホリデービザを手にして、ポケットに70万円(当時の全財産)を突っ込んで飛行機に乗りました。 たまたま同じ飛行機に乗り合わせたサーファーのケンジ君。 そして偶然にも同じバックパッカーズ(安宿)の同じ部屋で一週間過ごすことになり、意気投合。そこから僕たちの3ヶ月のサーフトリップが始まりました。 サーフィンを始めて間もない僕にとって、ニュージーランドの波はすべてが新鮮で、時には手強く、そしてとにかく楽しかった。 波に乗るたびに笑い、地元のローカルたちと話し、時には飲み会に混ぜてもらったりして、 「なんていい国なんだろう」と心から感じるようになりました。 次第に「この国に残りたい」という気持ちが強くなり、サーフトリップの合間に、求人サイトで自動車関係の会社へ履歴書を送り続けました。 僕は日本で10年ほど自動車鈑金塗装の仕事をしていたので、その経験を活かせればチャンスはあるんじゃないかと思っていました。 旅の終盤、ケンジ君の帰国の為ちょうどオークランドに着いた頃に、1件の面接の連絡が入りました。 「金曜日の夕方4時に来い」と言われ、その通りに訪ねると、いきなりビールを手渡され、スタッフたちと一緒に乾杯。 そのまま話が盛り上がって、「じゃあ、いつから始める?働ける?」という流れで、気づけば仕事が決まっていました。 そこから僕のニュージーランドでの仕事がスタート。 「たまたま」や「偶然」の積み重ねのようでいて、振り返ると、それがすべて今につながっているんだなと思います。 次回は、その最初の仕事から、どうやって生活を築いていったのかを書いていこうと思います。
僕のリアル・ニュージーランドライフ
夢から現実へ 〜ワーホリで始まったサーフトリップ〜 実はBeStokeはニュージーランドで登記してオペレーションしています。 僕は2012年ににワーキングホリデーでやってきて以来この国や人にに惹かれこれ住み着いています。 今までこのブログでは、自分の理想や、美しいこと、心地いい瞬間を中心に書いてきました。 でも今回は少し視点を変えて、僕自身の「リアル・ニュージーランドライフ」について、移住のきっかけから今に至るまで話していこうと思います。 僕が最初にニュージーランドにやってきたのは、2012年3月9日。 ワーキングホリデービザを手にして、ポケットに70万円(当時の全財産)を突っ込んで飛行機に乗りました。 たまたま同じ飛行機に乗り合わせたサーファーのケンジ君。 そして偶然にも同じバックパッカーズ(安宿)の同じ部屋で一週間過ごすことになり、意気投合。そこから僕たちの3ヶ月のサーフトリップが始まりました。 サーフィンを始めて間もない僕にとって、ニュージーランドの波はすべてが新鮮で、時には手強く、そしてとにかく楽しかった。 波に乗るたびに笑い、地元のローカルたちと話し、時には飲み会に混ぜてもらったりして、 「なんていい国なんだろう」と心から感じるようになりました。 次第に「この国に残りたい」という気持ちが強くなり、サーフトリップの合間に、求人サイトで自動車関係の会社へ履歴書を送り続けました。 僕は日本で10年ほど自動車鈑金塗装の仕事をしていたので、その経験を活かせればチャンスはあるんじゃないかと思っていました。 旅の終盤、ケンジ君の帰国の為ちょうどオークランドに着いた頃に、1件の面接の連絡が入りました。 「金曜日の夕方4時に来い」と言われ、その通りに訪ねると、いきなりビールを手渡され、スタッフたちと一緒に乾杯。 そのまま話が盛り上がって、「じゃあ、いつから始める?働ける?」という流れで、気づけば仕事が決まっていました。 そこから僕のニュージーランドでの仕事がスタート。 「たまたま」や「偶然」の積み重ねのようでいて、振り返ると、それがすべて今につながっているんだなと思います。 次回は、その最初の仕事から、どうやって生活を築いていったのかを書いていこうと思います。
取り合いからの学び
僕たち夫婦に子供は居ないが、友人の子どもたちを見ていると、毎回のように何かを取り合って小競り合いを繰り返している。 おもちゃ、席、順番、誰かが今手に取った物など。 時々うるさいけど、見てるとなんか笑えてくる。 でもその姿を見ながら思う。 大人になっても、実はあれと同じことをやってるんじゃないかって。 波を取り合ったり、仕事のチャンスを取り合ったり、誰かが手に入れた物を羨んで欲しくなってみたり。 形は違うけど、「自分の方が」って気持ちはみんな心の中にあり、それをうまく隠しているだけ。 ただ、子どもたちはすごく素直だ。 ぶつかって、泣いて、笑って、また仲直りして。 その中で、譲ることとか、待つこととか、相手の気持ちを考えることを学んでいくのだろう。 大人になると、コズルイい知恵がついてそのシンプルな感覚を忘れがちだなと思う。 サーフィンもそう。 波の取り合いみたいな場面はあるけど、 本当の意味でいいセッションって、 誰かを押しのけた時じゃなくて、 お互いが同じ波を楽しんでる瞬間なんだよね。 BeStokeも、そんな気持ちを大切にしたいと思ってる。 サーフボードを売るブランドじゃなくて、 同じ想いを持つ人たちが自然と集まる場所。 波の上でも、日常の中でも、 「いい時間をシェアする」ことを大事にするクルーみたいな存在。 子どもたちの取り合いを見ていて、 そんな“人との関わり方”を、もう一度ちゃんと感じ直した気がした。
取り合いからの学び
僕たち夫婦に子供は居ないが、友人の子どもたちを見ていると、毎回のように何かを取り合って小競り合いを繰り返している。 おもちゃ、席、順番、誰かが今手に取った物など。 時々うるさいけど、見てるとなんか笑えてくる。 でもその姿を見ながら思う。 大人になっても、実はあれと同じことをやってるんじゃないかって。 波を取り合ったり、仕事のチャンスを取り合ったり、誰かが手に入れた物を羨んで欲しくなってみたり。 形は違うけど、「自分の方が」って気持ちはみんな心の中にあり、それをうまく隠しているだけ。 ただ、子どもたちはすごく素直だ。 ぶつかって、泣いて、笑って、また仲直りして。 その中で、譲ることとか、待つこととか、相手の気持ちを考えることを学んでいくのだろう。 大人になると、コズルイい知恵がついてそのシンプルな感覚を忘れがちだなと思う。 サーフィンもそう。 波の取り合いみたいな場面はあるけど、 本当の意味でいいセッションって、 誰かを押しのけた時じゃなくて、 お互いが同じ波を楽しんでる瞬間なんだよね。 BeStokeも、そんな気持ちを大切にしたいと思ってる。 サーフボードを売るブランドじゃなくて、 同じ想いを持つ人たちが自然と集まる場所。 波の上でも、日常の中でも、 「いい時間をシェアする」ことを大事にするクルーみたいな存在。 子どもたちの取り合いを見ていて、 そんな“人との関わり方”を、もう一度ちゃんと感じ直した気がした。
BeStoke Crew – 僕たちの輪が動き出す
ブランドっていうと、ロゴやデザイン、商品を思い浮かべる人が多いかもしれない。 でも僕の考える BeStoke は『人とそのライフスタイル』そのもの どんな波に乗るかより、波とどう向き合うか。 そして誰とその一本を語るか。 そういう、人や自然との輪を繋げるブランドでありたいです。 最初は日本にSjs Customのサーフボードを紹介することから始まりました。 量産じゃなく、クラフトマンが削り出す一本。 波と会話しながら形づくられるオリジナルの一本。 それを日本のサーファーにも感じてほしい── そんなシンプルな想いから始まりました。 ありがたい事にSjs Customの良さを知り、ユーザーが少し増えました。 僕の勝手な思いですが、Sjs Customユーザーの方は引き寄せの法則で必然と繋がれたと思います。 『みんな違う人生を歩いてきたけど、どこか根っこの部分で繋がっている』 その繋がりはゆっくり大きくなると思います。 自然と共に生きる感覚とか、 海を常に感じ、忙しい世の中を自分のリズムで暮らす心地よさとか。 BeStoke Crew は、そういう仲間たちの輪でありたいです。 上下関係もないし、肩書きもいらない。 あるのは、リスペクトと共感、そして遊び心だけ。 まだ始まったばかりだけど、 この小さな輪が、やがて波みたいに広がっていく気がしている。 サーフボードという「モノ」を超えて、 生き方を共有するカルチャーになっていく。...
BeStoke Crew – 僕たちの輪が動き出す
ブランドっていうと、ロゴやデザイン、商品を思い浮かべる人が多いかもしれない。 でも僕の考える BeStoke は『人とそのライフスタイル』そのもの どんな波に乗るかより、波とどう向き合うか。 そして誰とその一本を語るか。 そういう、人や自然との輪を繋げるブランドでありたいです。 最初は日本にSjs Customのサーフボードを紹介することから始まりました。 量産じゃなく、クラフトマンが削り出す一本。 波と会話しながら形づくられるオリジナルの一本。 それを日本のサーファーにも感じてほしい── そんなシンプルな想いから始まりました。 ありがたい事にSjs Customの良さを知り、ユーザーが少し増えました。 僕の勝手な思いですが、Sjs Customユーザーの方は引き寄せの法則で必然と繋がれたと思います。 『みんな違う人生を歩いてきたけど、どこか根っこの部分で繋がっている』 その繋がりはゆっくり大きくなると思います。 自然と共に生きる感覚とか、 海を常に感じ、忙しい世の中を自分のリズムで暮らす心地よさとか。 BeStoke Crew は、そういう仲間たちの輪でありたいです。 上下関係もないし、肩書きもいらない。 あるのは、リスペクトと共感、そして遊び心だけ。 まだ始まったばかりだけど、 この小さな輪が、やがて波みたいに広がっていく気がしている。 サーフボードという「モノ」を超えて、 生き方を共有するカルチャーになっていく。...