ナミマチブログ
ケリー・スレーターが、小さなファクトリーを訪れた日
すべての始まりは、SNSの何気ない投稿だった。 スコティーの友人が、Sjsでオーダーしたボードの写真をインスタグラムにアップした。そして冗談半分で、こんな一言を添えてケリー・スレーターをタグ付けした。 「おいケリー、このボード最高だぞ。」 まさか本人が反応するなんて、誰も思っていなかった。 ところが後日、スコティーのもとにケリー本人からメッセージが届く。 「そのボード、かなり良さそうだね。」 そこから少しずつやり取りが始まった。 「オーストラリアに行くタイミングがあれば、ファクトリーに寄るよ。」 とはいえ、スコティー自身も半信半疑だったらしい。 世界一有名なサーファーのひとりだ。きっと社交辞令みたいなものだろう、と。 それでも、ときどきメッセージは届いた。 そして今年3月。 僕がBeStoke/SJS Custom Japanのオーストラリアトリップの最中だった。 サーフポイントへ向かう車の中で、スコティーが何気なく言った。 「あそこ、ケリーの家だよ。」 さらに、 「たぶん昨日、オーストラリアに来てるはず。」 そんな話を冗談みたいにしていた翌日、ファクトリーで現実になる。 作業中、スコティがスマホを見ながら顔を上げた。 「おい、大変だ。」 画面にはケリーからのメッセージ。 「今オーストラリアにいる。タイミングが合えば今週金曜日ファクトリーに行きたい。」 (真剣な表情でケリーに返信するスコティー) 本当に来るのか。 あのケリー・スレーターが。 正直、その場にいた誰もが少し信じられなかった。 ただ、そのときはお互いに家族や仕事の都合もあって実現できず、一度は流れそうになった。...
ケリー・スレーターが、小さなファクトリーを訪れた日
すべての始まりは、SNSの何気ない投稿だった。 スコティーの友人が、Sjsでオーダーしたボードの写真をインスタグラムにアップした。そして冗談半分で、こんな一言を添えてケリー・スレーターをタグ付けした。 「おいケリー、このボード最高だぞ。」 まさか本人が反応するなんて、誰も思っていなかった。 ところが後日、スコティーのもとにケリー本人からメッセージが届く。 「そのボード、かなり良さそうだね。」 そこから少しずつやり取りが始まった。 「オーストラリアに行くタイミングがあれば、ファクトリーに寄るよ。」 とはいえ、スコティー自身も半信半疑だったらしい。 世界一有名なサーファーのひとりだ。きっと社交辞令みたいなものだろう、と。 それでも、ときどきメッセージは届いた。 そして今年3月。 僕がBeStoke/SJS Custom Japanのオーストラリアトリップの最中だった。 サーフポイントへ向かう車の中で、スコティーが何気なく言った。 「あそこ、ケリーの家だよ。」 さらに、 「たぶん昨日、オーストラリアに来てるはず。」 そんな話を冗談みたいにしていた翌日、ファクトリーで現実になる。 作業中、スコティがスマホを見ながら顔を上げた。 「おい、大変だ。」 画面にはケリーからのメッセージ。 「今オーストラリアにいる。タイミングが合えば今週金曜日ファクトリーに行きたい。」 (真剣な表情でケリーに返信するスコティー) 本当に来るのか。 あのケリー・スレーターが。 正直、その場にいた誰もが少し信じられなかった。 ただ、そのときはお互いに家族や仕事の都合もあって実現できず、一度は流れそうになった。...
失って獲れたもの
僕は28年間日本で生まれ育ち、「働いていないと不安になる」という感覚が当たり前のように身についていた。 仕事があることが安心で、止まることはどこか悪いことのように感じていた。 僕は今ニュージーランドで車の塗装屋さんのサブコントラクター(請負の仕事って言えばいいかな)として週30〜40時間働いていたが、その仕事が先方の都合で終わることになった。 最初に出てきたのは不安と焦りだった。「これからどうするか」という感覚。 でもローカルにその話をすると、返ってきたのは全く違う反応だった。 「おめでとう、今は波がいい時期じゃないか」 その言葉をきっかけに、価値観が少しずつ揺れ始めた。 彼らにとって仕事は人生の中心ではない。 波が良ければ海へ行き、悪ければ働く。お金は必要な分だけでいい。 “働くために生きる”ではなく “生きるために働く”という感覚が自然にある。 一方で僕は日本の両親とたまに電話で話すと、必ず「仕事はしているのか?」と必ず聞かれる。 「人生が充実しているか」と聞かれた事は今まで一度も無い。 その違いに、自分の中にも日本的な価値観が深く根付いていることに気づく。 45歳で仕事が一度止まった今、不安はある。 でもそれは働いていた時にも確かにあったものだ。 だったらどちらを選ぶのか。 忙しさの中の不安か、自由のある中の不安か。 答えはまだ途中にあるけれど、ニュージーランドで出会った生き方は確かに静かで豊かだった。 そして今、自分もそのリズムに少しずつ近づいている。
失って獲れたもの
僕は28年間日本で生まれ育ち、「働いていないと不安になる」という感覚が当たり前のように身についていた。 仕事があることが安心で、止まることはどこか悪いことのように感じていた。 僕は今ニュージーランドで車の塗装屋さんのサブコントラクター(請負の仕事って言えばいいかな)として週30〜40時間働いていたが、その仕事が先方の都合で終わることになった。 最初に出てきたのは不安と焦りだった。「これからどうするか」という感覚。 でもローカルにその話をすると、返ってきたのは全く違う反応だった。 「おめでとう、今は波がいい時期じゃないか」 その言葉をきっかけに、価値観が少しずつ揺れ始めた。 彼らにとって仕事は人生の中心ではない。 波が良ければ海へ行き、悪ければ働く。お金は必要な分だけでいい。 “働くために生きる”ではなく “生きるために働く”という感覚が自然にある。 一方で僕は日本の両親とたまに電話で話すと、必ず「仕事はしているのか?」と必ず聞かれる。 「人生が充実しているか」と聞かれた事は今まで一度も無い。 その違いに、自分の中にも日本的な価値観が深く根付いていることに気づく。 45歳で仕事が一度止まった今、不安はある。 でもそれは働いていた時にも確かにあったものだ。 だったらどちらを選ぶのか。 忙しさの中の不安か、自由のある中の不安か。 答えはまだ途中にあるけれど、ニュージーランドで出会った生き方は確かに静かで豊かだった。 そして今、自分もそのリズムに少しずつ近づいている。
大きなイベントのたびに思い出す、ニュージーランドの記憶
もうすぐラグランでWSLのイベントが始まる。 ニュージーランドで大きなイベントの話題になるたび、僕はいつも思い出す景色がある。 2014年。 まだ僕がオークランドに住んでいた頃、Eminem のライブが開催された。 会場は5万5千人規模。会場のWestanSpringsという郊外の、大きな公園が満杯になったと今でも語られている程の規模感だ。 当時のニュージーランド人口から考えると、100人に1人以上がそのライブに行っていた計算になるくらい、大きなイベントだった。 でもその日、僕たちは街の小さなライブへ向かっていて、バスに乗っていた。 途中、エミネムのライブへ向かう若者グループが乗り込んできた。 もうベロベロでキマっている感じで、車内は一気にフェスみたいな空気に。 何かの会話をきっかけに、突然みんなでエミネムのラップを歌い出したりしていた。 運転手さんも 「お前ら静かにしろよ〜」 なんて言いながら、どこか笑っていたのを覚えている。 しばらくして、小さな子供を二人連れた母親が乗ってきた。 でも車内は満席。 その瞬間、騒いでいた若者たちが、すぐに席を譲った。 僕はその時、少し恥ずかしくなった。 勝手なイメージで彼らを見ていたこと。 そして、すぐ動けなかった自分。 ニュージーランドにいると、こういう瞬間によく出会う。 騒いでいても、ちゃんと周りを見ている。 自然に助け合い、声を掛け合う。 WSLみたいな大きなイベントの話題になるたび、なぜか僕はあの日のバスを思い出す。 僕はこの国が本当に好きだ。 そして、この国の人たちから学ぶことは今でも本当に多い。
大きなイベントのたびに思い出す、ニュージーランドの記憶
もうすぐラグランでWSLのイベントが始まる。 ニュージーランドで大きなイベントの話題になるたび、僕はいつも思い出す景色がある。 2014年。 まだ僕がオークランドに住んでいた頃、Eminem のライブが開催された。 会場は5万5千人規模。会場のWestanSpringsという郊外の、大きな公園が満杯になったと今でも語られている程の規模感だ。 当時のニュージーランド人口から考えると、100人に1人以上がそのライブに行っていた計算になるくらい、大きなイベントだった。 でもその日、僕たちは街の小さなライブへ向かっていて、バスに乗っていた。 途中、エミネムのライブへ向かう若者グループが乗り込んできた。 もうベロベロでキマっている感じで、車内は一気にフェスみたいな空気に。 何かの会話をきっかけに、突然みんなでエミネムのラップを歌い出したりしていた。 運転手さんも 「お前ら静かにしろよ〜」 なんて言いながら、どこか笑っていたのを覚えている。 しばらくして、小さな子供を二人連れた母親が乗ってきた。 でも車内は満席。 その瞬間、騒いでいた若者たちが、すぐに席を譲った。 僕はその時、少し恥ずかしくなった。 勝手なイメージで彼らを見ていたこと。 そして、すぐ動けなかった自分。 ニュージーランドにいると、こういう瞬間によく出会う。 騒いでいても、ちゃんと周りを見ている。 自然に助け合い、声を掛け合う。 WSLみたいな大きなイベントの話題になるたび、なぜか僕はあの日のバスを思い出す。 僕はこの国が本当に好きだ。 そして、この国の人たちから学ぶことは今でも本当に多い。
初雪と嬉しいニュース-WSLロングボードがタラナキへ-
ニュージーランドはすっかり秋。澄んだ空気のなか、タラナキ山 に今季初の雪が積もりました。そんな季節の訪れとともに、嬉しいニュースが到着。次のWSLロングボードQualifyingイベントが、ついにタラナキで開催されます。 タラナキに住んで約12年。この土地に世界レベルの大会が来るのは、やはり特別なこと。地元開催というだけで気持ちが上がります。 今回の大会名は「エグモントハニープロ」。スポンサーのEgmont Honey は、タラナキを代表するローカル蜂蜜メーカーです。 “エグモント”とは、タラナキ山の英語名「マウント・エグモント」から来た名前。現在は本来の名前であるタラナキ山が広く使われていますが、エグモントという名も地域や企業に今も深く残っています。 個人的にもこのニュースは特別です。 実は昔、うちの妻がエグモントハニーの工場で働いていて、毎年、クリスマス会に参加させてもらい、酒好きの僕は飲み散らかしてオーナーに苦笑いされた記憶があります。 そんな思い出ある会社が今回の大会スポンサー。胸が熱くなります。 今年のニュージーランドのサーフシーンは本当に熱い。5月にはラグラン でWSLショートボード、そして次は6月にタラナキでロングボード。 世界のトップ選手たちがこの町にやって来る。今年のタラナキ、かなり楽しみです。
初雪と嬉しいニュース-WSLロングボードがタラナキへ-
ニュージーランドはすっかり秋。澄んだ空気のなか、タラナキ山 に今季初の雪が積もりました。そんな季節の訪れとともに、嬉しいニュースが到着。次のWSLロングボードQualifyingイベントが、ついにタラナキで開催されます。 タラナキに住んで約12年。この土地に世界レベルの大会が来るのは、やはり特別なこと。地元開催というだけで気持ちが上がります。 今回の大会名は「エグモントハニープロ」。スポンサーのEgmont Honey は、タラナキを代表するローカル蜂蜜メーカーです。 “エグモント”とは、タラナキ山の英語名「マウント・エグモント」から来た名前。現在は本来の名前であるタラナキ山が広く使われていますが、エグモントという名も地域や企業に今も深く残っています。 個人的にもこのニュースは特別です。 実は昔、うちの妻がエグモントハニーの工場で働いていて、毎年、クリスマス会に参加させてもらい、酒好きの僕は飲み散らかしてオーナーに苦笑いされた記憶があります。 そんな思い出ある会社が今回の大会スポンサー。胸が熱くなります。 今年のニュージーランドのサーフシーンは本当に熱い。5月にはラグラン でWSLショートボード、そして次は6月にタラナキでロングボード。 世界のトップ選手たちがこの町にやって来る。今年のタラナキ、かなり楽しみです。
ツインフィンの可能性
BeStokeのコンセプトは、原点回帰。 大量生産ではなく、一つひとつに手をかけ、すべてをハンドビルドで仕上げる。効率ではなく、質と感覚を大切にしたボードづくりを追求している。 その観点からサーフィンのルーツを辿ると、最初はシンプルなシングルフィンから始まり、その後ツインフィンが登場。やがてスラスター(3フィン)が主流となり、大きな資本が入り、サーフィンは一気に“産業”としての側面を強めていった。 その流れの中で、ツインフィンは本来持っていた可能性を十分に探求されることなく、スラスターが一気に盛り上がり、一度時代の表舞台から外れることになる。 しかし、ツインフィンにはまだ未開拓の奥深さがある。 スピード、ルースさ、そして自由度の高いライン取り。その独特のフィーリングは、決して過去のものではない。 SJS Custom ボードビルダーであるスコティ・ジェームスが、そのツインフィンの魅力を改めて掘り下げ、現代のデザインと融合させながら、さらなる可能性を追求している。 単なる懐古ではなく、“進化したツインフィン”として、新たな価値を生み出すために。 それは、大量生産では決して辿り着けない領域。 一本一本に魂を込める、ハンドビルドだからこそできる挑戦である。
ツインフィンの可能性
BeStokeのコンセプトは、原点回帰。 大量生産ではなく、一つひとつに手をかけ、すべてをハンドビルドで仕上げる。効率ではなく、質と感覚を大切にしたボードづくりを追求している。 その観点からサーフィンのルーツを辿ると、最初はシンプルなシングルフィンから始まり、その後ツインフィンが登場。やがてスラスター(3フィン)が主流となり、大きな資本が入り、サーフィンは一気に“産業”としての側面を強めていった。 その流れの中で、ツインフィンは本来持っていた可能性を十分に探求されることなく、スラスターが一気に盛り上がり、一度時代の表舞台から外れることになる。 しかし、ツインフィンにはまだ未開拓の奥深さがある。 スピード、ルースさ、そして自由度の高いライン取り。その独特のフィーリングは、決して過去のものではない。 SJS Custom ボードビルダーであるスコティ・ジェームスが、そのツインフィンの魅力を改めて掘り下げ、現代のデザインと融合させながら、さらなる可能性を追求している。 単なる懐古ではなく、“進化したツインフィン”として、新たな価値を生み出すために。 それは、大量生産では決して辿り着けない領域。 一本一本に魂を込める、ハンドビルドだからこそできる挑戦である。
BeStoke Surf Trip in Australia Vol.3
バーレーヘッズの路地裏サーフショップ“Bonbora” ゴールドコースト、バーレーヘッズの路地裏。 時間があって、ふらっと立ち寄ったサーフショップ「ボンボラ」。 気さくなオーナーは、生まれも育ちもゴールドコーストのサーファー。 話の流れで、彼は自分の原点を教えてくれた。 90年代彼が子供の頃、誕生日に「Tシャツが欲しい」と言って、母親がサーフショップに買いに行った。 でも母親はそこに集まる、まだ髪が海水で濡れていて、足に砂がついている子供たちを見て 「だらしない場所だね」と感じたらしい。 それに対して彼はこう言ったという。 「違う、それがサーフィンカルチャーなんだ」 海好きが集まり、大人が子供に教え、教わった子供がまた次の世代に繋ぐ。 サーフショップは、ただの店じゃなくて、カルチャーが育つ場所だと。 でも2000年代彼がティーンの頃、時代は変わり大資本系の大型サーフショップが増えて、並ぶのはメッセージのないTシャツや量産のプロダクトばかり。 彼は『溜まり場』を失い、そこに違和感を感じて、彼は決めた。 “あの頃のサーフショップを、自分でつくる” それが、このBonbora。 店のソファーに何気なく座ると、砂でザラついていた。 でも、その感触がすごくリアルで、すぐにわかった。 ここは彼の理想であり、夢をそのまま形にした場所なんだと。 そして、それをちゃんと続けてきた“成功している場所”なんだと。 決して綺麗すぎず、でも整っている場所。 そして居心地のいい場所。 サーフショップは、物を売る場所じゃない。 人とカルチャーが残る場所だ。 ふらっと入っただけなのに、 大事なことを思い出させてもらった。
BeStoke Surf Trip in Australia Vol.3
バーレーヘッズの路地裏サーフショップ“Bonbora” ゴールドコースト、バーレーヘッズの路地裏。 時間があって、ふらっと立ち寄ったサーフショップ「ボンボラ」。 気さくなオーナーは、生まれも育ちもゴールドコーストのサーファー。 話の流れで、彼は自分の原点を教えてくれた。 90年代彼が子供の頃、誕生日に「Tシャツが欲しい」と言って、母親がサーフショップに買いに行った。 でも母親はそこに集まる、まだ髪が海水で濡れていて、足に砂がついている子供たちを見て 「だらしない場所だね」と感じたらしい。 それに対して彼はこう言ったという。 「違う、それがサーフィンカルチャーなんだ」 海好きが集まり、大人が子供に教え、教わった子供がまた次の世代に繋ぐ。 サーフショップは、ただの店じゃなくて、カルチャーが育つ場所だと。 でも2000年代彼がティーンの頃、時代は変わり大資本系の大型サーフショップが増えて、並ぶのはメッセージのないTシャツや量産のプロダクトばかり。 彼は『溜まり場』を失い、そこに違和感を感じて、彼は決めた。 “あの頃のサーフショップを、自分でつくる” それが、このBonbora。 店のソファーに何気なく座ると、砂でザラついていた。 でも、その感触がすごくリアルで、すぐにわかった。 ここは彼の理想であり、夢をそのまま形にした場所なんだと。 そして、それをちゃんと続けてきた“成功している場所”なんだと。 決して綺麗すぎず、でも整っている場所。 そして居心地のいい場所。 サーフショップは、物を売る場所じゃない。 人とカルチャーが残る場所だ。 ふらっと入っただけなのに、 大事なことを思い出させてもらった。