失って獲れたもの

失って獲れたもの

 

僕は28年間日本で生まれ育ち、「働いていないと不安になる」という感覚が当たり前のように身についていた。


仕事があることが安心で、止まることはどこか悪いことのように感じていた。


僕は今ニュージーランドで車の塗装屋さんのサブコントラクター(請負の仕事って言えばいいかな)として週30〜40時間働いていたが、その仕事が先方の都合で終わることになった。


最初に出てきたのは不安と焦りだった。「これからどうするか」という感覚。


でもローカルにその話をすると、返ってきたのは全く違う反応だった。


「おめでとう、今は波がいい時期じゃないか」


その言葉をきっかけに、価値観が少しずつ揺れ始めた。


彼らにとって仕事は人生の中心ではない。

波が良ければ海へ行き、悪ければ働く。お金は必要な分だけでいい。


“働くために生きる”ではなく

“生きるために働く”という感覚が自然にある。


一方で僕は日本の両親とたまに電話で話すと、必ず「仕事はしているのか?」と必ず聞かれる。

「人生が充実しているか」と聞かれた事は今まで一度も無い。


その違いに、自分の中にも日本的な価値観が深く根付いていることに気づく。


45歳で仕事が一度止まった今、不安はある。

でもそれは働いていた時にも確かにあったものだ。


だったらどちらを選ぶのか。


忙しさの中の不安か、自由のある中の不安か。


答えはまだ途中にあるけれど、ニュージーランドで出会った生き方は確かに静かで豊かだった。


そして今、自分もそのリズムに少しずつ近づいている。

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