グリーンスクール初訪問。僕が感じた教育の話

グリーンスクール初訪問。僕が感じた教育の話

先日、友人に誘われて、家の近く、ニュージーランド・タラナキにある「グリーンスクール」のイベントへ行ってきました。

世界に数校しかない学校のひとつで、日本でも名前を聞いたことがある人は多いかもしれません。

最初に言っておきますが、僕には子どもはいませんし、教育について語れるような知識もありません。

これは教育論ではなく、45歳の僕が、その場で感じたことを書いた一つの記録です。

 

僕は1980年生まれ。

義務教育を受けたのは80年代後半から90年代です。

小さな村の小学校、中学校。

今思えば、とても「昭和らしい」教育だったと思います。

右向け右。

みんな同じ。

個性より協調性。

先生の言うことを聞くことが正しく、部活動では根性論も当たり前。

先輩からは今では考えられないようなしごきも受けました。

もちろん、それが悪いことばかりだったとは思いません。

あの頃に鍛えられた精神力や、最後までやり抜く力は、今の自分の仕事にも確実につながっています。

だから、あの教育を否定するつもりはありません。

でも今振り返ると、子ども一人ひとりが持っていた「個性」という小さな芽は、知らないうちに先生方が大人の事情で扱いやすい様にトリミングされていたようにも感じます。


ニュージーランドへ来てから、ワーキングホリデーで来ている20代の日本人と話す機会がよくあります。

驚くのは、その感覚です。

いい意味で肩の力が抜けています。

でも決して弱いわけではありません。

自分の考えを持ち、自分の好きなことを知っていて、芯がしっかりしている。

そして何より、一人ひとりの個性がとても魅力的です。

「みんな違って、それが普通。」

そんな空気を自然にまとっている人が多い気がします。

特にサーファーの子たちはその感覚が確立してて板もサーフィンスタイルカッコいい。


今回訪れたグリーンスクールでも、それを強く感じました。

僕が見た限りでは、

先生が子どもを教えるというより、

子どもたちの「やってみたい」を先生がサポートする。

そんな学校に見えました。

もし子どもたちが何かプロジェクトを考えたら

必要であれば市役所へ行き、

許可が必要なら自分たちで相談し、

地域の人とも関わりながら形にしていく。

正解を教えてもらうのではなく、

正解を自分たちで探していく。

小さい頃から、そんな経験を積み重ねているように感じました。

机に向かって同じ漢字ドリルを何度も繰り返すより、

実際に社会とつながりながら学ぶ。

その経験は、大人になってから大きな財産になるのかもしれません。


どちらの教育が正しいなんて僕には分かりませんし、

僕の時代の教育があったから今の自分があります。

だから昔を否定する気はありません。

でも、時代は確実に変わっています。

AIが当たり前になり、

答えを覚えることより、

「何を考えるか」が大切になる時代。

そんな未来では、一人ひとりの個性こそが、一番価値のあるものになるのかもしれません。


これから先、こういう自由な発想を持った子どもたちの中から、

新しい経営者が生まれ、

新しい技術が生まれ、

今まで誰も思いつかなかったアイデアが世界を変えていく。

そんな未来を少し想像しました。

そして、その結果として、

世界が今より少し自由で、

少し平和で、

お互いの違いを認め合える場所になっていけば素敵だなと思います。

教育について語るつもりはありません。

でも、一人の大人として、とても刺激を受けた一日でした。

また機会があれば、もう一度ゆっくり訪れてみたいと思います。

※この写真のスケートランプは卒業制作で、役所にhealth and safety(法律の安全)認可を取るところからスタートして生徒たちの手で作り上げたそうです。

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